(93) 万葉集など古典の樹木を植栽
八幡人丸神社の古典樹苑

山口県長門市の八幡人丸神社には、万葉集をはじめとする古歌・古文を出典とする樹木を植栽展示した古典樹苑があります。樹木を通じて古典に親しみ、古典を通じて樹木の理解を深めることができる貴重な施設です。

    

 (93-1) 八幡人丸神社と古典樹園

 八幡人丸神社は石見国高津、播磨国明石の柿本神社と共に日本三社といわれ、由緒深い神社です。

 境内には万葉集をはじめとする室町時代以前の日本の古典に載る樹木を網羅した樹苑が設けられています。大正4年(1915年)に始まり、その後逐次拡充整備され、現在では木草約180種が所せましと植栽されています。 古典に関心がある者、樹木に関心がある者、いずれにとっても有意義で貴重な施設です。

 宮司さんのお話では「樹木は生き物ですから維持管理が大変です」とのことでした。100年を超す長い間、樹苑を運営して来られた神社のご苦労は大変なものであろうと思われます。一人でも多くの方が樹苑を訪ねられ、古典と樹木への理解を深められることを願わずにはおれません。

 樹苑の樹種は100種余りになり、とてもすべてを紹介することはできませんので、ここでは興味深い3種を紹介します。

  

  (93-2) むろのき(室の木)
 
むろのき(室の木)と呼ばれる樹木は初めて知りましたが、今日のネズミサシ(鼠刺)のことのようです。後日、図鑑で調べてみるとネズミサシの別名としてネズ、ムロとあります。別名ムロは"むろのき"の名残でしょうか。万葉集に次の詩が詠まれています。
・吾妹子が見し鞆の浦の室の木は 常世にあれど見し人ぞ亡き
ネズミサシは一般に樹高10mに満たない常緑針葉樹の小高木で、大木でもなく綺麗な花を咲かせるのでもない目立たない樹種ですが、そのような地味な樹木に目を止め、歌を残している万葉人の樹木に対する感覚は、今日の私たちのものよりかなり地味で繊細だったように思えます。

 

 (93-3) ふじ(藤)

 淡紫色の豪華な花を咲かせる藤は、古の人々が非常に好む樹木だったようで、多くの古歌・古文が残されています。
 万葉集
 ・いささかに念ひ来しお多児の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし
 ・恋しけば形見にせむと我が宿に植えし藤浪いまさきにけり
 *上記のほかに万葉集では24首に藤が詠まれている。
 伊勢物語
 ・ぬれつつぞ強ひて折りつる藤の花春はいくかも有らじと思へば
 枕草子
 ・木の花は云々、藤の花はしなひ長く色濃く咲きたるいとめでたし。

 藤の花は神の降臨する依代(よりしろ)として神聖視され、家紋や様々な意匠などに使われています。また藤原・藤山・藤田・佐藤・齋藤・遠藤など多くの姓にも「藤」が使われ、日本文化の中で藤は大きな存在となっています。

 なお、万葉集に詠まれている樹木については、一番多いのがウメの118首、ついでマツ76首だそうです。

  

  (93-4) まき(槙)
 
この樹園ではほとんどの樹木標本は樹種ごとに1本であるのに対し、マキ(槙)は複数本が植栽され小さい林を作っていました。槙が古典と当神社において特別に重要な存在であるのでしょう。
日本書記の中に「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は・・・・スギとクスノキは浮宝(船)とし、ヒノキは宮殿に、マキは棺にせよと教えた」とあるそうですが、古の人々はマキを神聖視していたのでしょう。
万葉集の時代、マキ(槙)、ヒノキ(檜)、スギ(杉)が明確に区別されていたかあいまいなようですが、新古今集に詠われている下記の詠の槙は、マキ(槙)に違いないであろうと掲示板に記されていました。
・淋しさはその色としも無かりけり槙立つ山の秋の夕暮

  

 (93-5) 女芭蕉の句碑

 この近在に出家して菊舎尼と名乗った女性(宝暦3年(1753年)生まれ)がおり、彼女は24歳で夫に死別し、28歳で出家し全国行脚に旅立ちました。
 全国行脚に先立ち最初にこの八幡人丸神社に詣で、次の2句を詠んでいます。

 ・吾笠にさびしさしめや蝉しぐれ
 ・染めて行かむ筆柿の葉も茂りたる時

 彼女は後に女芭蕉と言われるようになりました。神社境内に句碑があります。

  

   樹木写真の属性
 樹  種 ネズミサシ(鼠刺)[ヒノキ科ビャクシン属]
ヤマフジ(山藤)[マメ科フジ属]
マキ(槙)[マキ科マキ属]
 樹木の所在地  山口県長門市油谷町大字新別名35番地  
 撮影年月   2016年8月
 投稿者   木村 樹太郎   
 投稿者住所  島根県邑智郡川本町
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